私が脱サラした理由

こんばんは。TSUBOSUGI1975です。

今回は、このブログのタイトルに入っている「脱サラ」した理由についてお話したいと思います。

はじめに

なぜ私が脱サラした理由についてお話しようと思ったのかというと、このブログのタイトルに入っている事について今までお話ししていないなと今更ながら思ったからです。

あとは脱サラして2年半以上が過ぎて、脱サラした当時の思いが薄れてきているので忘れないためにも記録に残しておこうと思ったのもあります。

私が脱サラしようと決断した理由は一つではありません。先に言うと私はとても運がよく恵まれている人間です。

もし、このブログを読んだ方が「そんな理由で脱サラしたのか」「恵まれているから脱サラできただけだ」と腹を立てられる方もおられるかもしれません。

しかし、私のような感じで脱サラしストレスから解放されのんびり生きている人間がいるのも事実です。もし私のような境遇の方がおられたら一つの生き方として参考にしていただけたらと思います。

夢がなく世間体で就職した

私はごく一般的な中流家庭で生まれ育ちました。父親は昔のオヤジという感じで、家では王様でした。私は父親に褒められたことは記憶になく殴られバカ呼ばわりされていました。

なので私は幼い時から自己評価が低く夢を持つだけ無駄だと思ってきました。事実、勉強も運動も平均的で取り柄の無い人間でした。

大学に行く頭もなくやりたい事も無かった私は高校卒業後に就職もせずバイトをしながらプラプラしていました。

バイト先が公務員だったため母親に「そこに就職できないん?」と言われ世間体の良いバイト先に就職しようと安易に決めてしまいました。

なぜか、公務員試験に合格することができ私は公務員となり20歳から45歳まで務めることになるのです。

正直、仕事を面白いとか天職だと感じたことはありませんでした。しかし、私は理不尽な父親に育てられたため我慢強さは備わっていました。

好きな仕事に付ける人は一握りでほとんどはしたくもない仕事をして一生を終えるものだと思っていました。

ですが結局、仕事にやりがいを感じていなかったことが脱サラの原因の一つになったのです。

32歳で潰瘍性大腸炎を発病

私は30歳で結婚をしました。その2年後に難病の潰瘍性大腸炎が発病してしまいました。

医者には一生治らない病気だと言われましたが、もともと楽天家の私はそれほどショックは受けませんでした。それより結婚して間もない奥さんに申し訳ない気持ちが大きく

、私の母も奥さんに申し訳ないと謝っていました。

奥さんは医者の言葉に青ざめていましたが、私の治療のために色々手を尽くしてくれました。

運が良かったのは私の仕事が室内での仕事のため、1日10回以上トイレに行かなければならないことがある病気に対応でき仕事を続けることができました。会社は有休が多く、早退もしやすいため通院もしやすい環境でした。

潰瘍性大腸炎は再燃(再発)と寛解(症状が治まる状態)を繰り返す病気です。私は再燃の原因が食生活なのか、酒なのか、ストレスなのか分からず過ごしてきました。

もしストレスなら会社をやめてストレスの無い生活をすれば潰瘍性大腸炎の再燃を防げるのではないかとずっと思っていました。

私は仕事にかなりのストレスを感じていました。そのストレスを紛らわすために潰瘍性大腸炎患者は極力避けるべき酒も週に一度程度は飲んでいました。

脱サラすればストレスも無くなり酒量も減る。そういったことも脱サラを決心した一つの要因です。

会社の体制に不満、そしてコロナ・・・

公務員なのになぜ脱サラなの?と思われる方がいるかも知れませんが、私の勤め先は民営化になり、途中から公務員ではなくなりました。これでどこの会社か分かる方も多いと思いますが(;^ω^)

民営化となり職場は大きく変わりました。のんびりした環境から利益を追求する体制になり、はっきり言ってブラック企業になりました。

変化に対応し収入を増やす人もいれば、変化に付いていけずボロボロになり辞めていく人も多く、逆に開き直って仕事をロクにせずしがみつく人もいました。

私はそれなりに対応しましたが、現場を知らない偉い人に媚びへつらい、前線の社員をどう喝する管理者に不満を持っていました。

私は言いたいことはいうタイプなので管理者と何度ももめては転勤になり、管理者にへつらう社員に嫌がらせを何度も受けましたが、「カスは相手にしない」という感じで仕事をしていました。

そんな中、世間を揺るがす会社ぐるみの不祥事が発覚し会社は大きく傾きました。そしてコロナでさらに会社はダメージを受けました。

コロナで仕事が減り収入は下がりました。私が許せなかったのは仕事が無いことを良いことに一日中タバコを吸ってサボったり、職場で仕事中に不倫行為などを行う社員が多くいたことでした。

管理者は見て見ぬふりをし、世間が不祥事を忘れるまで反省したふりをおこうという感じでした。

元々、会社の仕事にやりがいを感じていなかった私はこんな会社にいていいのかという疑問を毎日のように考えるようになっていったのです。

子供がいなくて借金もなかった

私たち夫婦には子供がなく、住まいも賃貸なので住宅ローンもありませんでした。もし子供がまだ小さく、大きな借金があれば脱サラなど考えなかったと思います。

奥さんも収入があり、脱サラしても数年は生活に困窮するような状態ではありませんでした。脱サラを決断にするにあたってこの点が大きかったの言うまでもありません。

奥さんが「辞めたら」と言ってくれた

コロナの影響で自宅で仕事をしている奥さんは外部との接触がラインや電話しかないような状態になりました。奥さんは私としか顔を合わせて話す人間がいないので心配になり土日の休みは奥さんとドライブをするようになりました。

奈良の自然が多く人が少ない場所によく行ったので、私も仕事を忘れられてありがたかったです。

しかし、日曜日の夕方頃になると私の顔色が変わり憂鬱そうに見えると奥さんが言い出しました。月曜の朝の私の顔がとてもしんどそうで見送るのがつらいとも言っていました。

確かに月曜日の通勤途中でこのままどこかに行ってしまおうかと思ったことが何度もありました。事務室に入る前に動悸が激しくなることもありました。

そして奥さんが夕食中に「仕事辞めたら。というか辞めて」と言い出しました。私が「いいのか?」と聞くと「このままでは鬱になる。というかなってる」と言ってくれたのです。

私は次の日に管理者に辞意を告げました。そこから引き留めにあいましたが半年ほどで退職することができました。

私は奥さんが「やめないで」と言っていたら絶対に仕事を辞めていません。というかほとんどの奥さんなら安定した会社を辞めることには難色を示すと思います。

奥さんの理解があったからこそ脱サラできた。これが一番大きかったです。

おわりに

以上が私が脱サラした理由のお話でした。現在の私は自営でサラリーマン時代より収入は下がりましたが、生活はできる程度の稼ぎは確保できています。

自由な時間ができ、平日から奥さんとランチを楽しんだり、登山という趣味ができたりとストレスフリーな生活を送っています。

元同僚からたまに私の生活を心配して連絡をくれる人もいますが、私の話を聞くと羨ましがられます(笑)

しかし、元同僚には安易には辞めないほうがいいと釘を刺しています。私は運が良いだけでたまたま何とかやっていけてるだけだからと話します。

 

私は脱サラしてほんとに奥さんがいて良かったと実感しました。私の人生で最大の幸運は奥さんと出会えた事だと心から思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m