華やかさと寂しさを感じる橋本のスナック街を歩く

こんばんは。TSUBOSUGI1975です。

今回は先日、和歌山県橋本市東家を散策してきましたので簡単に紹介したいと思います。

意外な場所にスナック街を見つける

先日、グーグルマップで橋本駅付近に喫茶店がないかと検索していました。見つけたのがグルテンフリーのケーキとオーガニックコーヒーをいただける「Cafe cocomi」という喫茶店でした。

土曜日しか営業していないお店なのですが、その日はたまたま土曜日だったので妻とおじゃまさせていただきました。

 

 

美味しいケーキとコーヒーをいただきお店を出ると目の前には廃墟と思われる建築物が建っていました。どうやらスナックだったようで扉を見るとなんと・・・

久しぶりに接客ができる飲食店の営業許可の鑑札を見ました。

昔のカフェーとは洋風のお店で飲食の提供と接客ができるお店をさしました。今のスナック、ラウンジ、キャバクラのようなもので当然、風俗営業法に基づき営業許可が必要でした。

この鑑札があるということは相当古い時代から存在していたスナックということになります。

茶店のマスターに聞いたところ、昔はこの路地は橋本の銀座みたいな感じで、近くにはキャバレーや映画館もあったと教えていただきました。

私はサラリーマン時代は寂れた歓楽街で飲むのが好きで、スナックのママやバーのマスターや古参のお客さんに昔の華やかな時代の話をよく聞かせてもらいました。

その当時は寂れた、もしくは消滅した歓楽街を散策して地元の人にお話を聞いたりしていました。

その当時の気持ちが湧き上がってきたので後日、1人でこのスナック街を散策することにしました。

昔は華やかだった橋本の夜の街

散策するにあたり橋本の昔の歓楽街についてのブログや写真などがないかとネットで調べましたが、ほとんど参考になるものはありませんでした。その中で興味深く読ませてもらったのが2011年の橋本新聞の記事でした。

hashimoto-news.com

この記事によると廃墟のような建物は1960年ごろに老朽化した校舎を移築した木造2階建ての2棟でスナック街となり現在まで残っているようです。

1960年ごろの時点で老朽化していた校舎なのですから、いったい築何年が経過しているのか不明ですが少なくとも80年は経過しているのではないでしょうか。

1960年代は紀見トンネルの工事(1969年開通)、橋本カントリークラブの建設(1966年開場)などや高野口の織物産業も元気で空前の好景気だったそうです。

そんな時代に橋本市東家の路地に10数軒のスナックや居酒屋がひしめき合うように建ち並び、酒を飲みに来る労働者で狭い路地はごった返していたそうです。

当時、この路地は橋本・伊都地方で一番の歓楽街で「浮世小路」と呼ばれていましたが、現在はその面影を見つけるのは難しい状態に変貌しています。

華やかだったが故の寂しさ

2棟あるうちの1棟目です。路地沿いと中の廊下にスナックや居酒屋が並んでいたようです。

1階は店舗で2階は住居スペースだったと思われます。建物の側面には扉がありおそらく校舎時代は渡り廊下で繋がっていたのではないでしょうか。

2階の物干し竿がかつての生活の営みを感じさせます。

木製の階段にかつての校舎の面影を、取り残されたポストやバケツに哀愁を感じます。

続いて2棟目。こちらの棟の方が大きく店舗も多いです。しかし、こちらの棟の方が荒廃が進んでいるように見えました。

階段は登るのが怖いくらいに老朽化が進んでいます。

橋本新聞の記事では2階にスナックのママが住んでいたと書いていました。2010年くらいまでは人が住んでいたというから驚きです。

今では荒れに荒れた2階の廊下ですが、かつては美しいホステスさん達が行き来していたのですね。

かつては色鮮やかに光っていた看板、人の営みを感じさせるポストや家具、生活必要品の残骸を見るとかつての華やかさや人の営みの名残を感じる分、寂しさをより感じます。

よく見る取り残された住宅の廃墟などには感じない何とも言えない儚さを私は感じるんですよね。

まだ夜の灯は消えていない

もう完全に終わった夜の街のように思いますが実はまで営業しているお店があるようです。

旧校舎の向かいの並びの建物はまだ新しくて人の営みがあります。お茶させていただいた喫茶店もその中の1つです。

茶店、美容室、整骨院などだけではなくわずかながら飲食店も営業しているようです。インスタグラムで現在も営業しているカラオケスナックを確認できました。

2棟のうちの中には予約すれば営業してくれるスナックあるとかないとか。昔からの常連さんだけには特別に開けてくれるのかも知れませんね。

でも1軒、換気扇が回っているお店があったんだよなぁ・・・

おわりに

以上が橋本市東家のスナック街の簡単な紹介でした。

隣の五條市もかつては林業や鉱業などで活気があり歓楽街が存在したと聞いたことがあります。

今では寂れた田舎町でも昔は賑わっていたということが結構あって、そういう昔話を地元の方に聞くのは楽しいですよ。

機会があれば今でもたくましく「浮世小路」で商売されているお店にお邪魔して昔話を聞いてみたいですね。

 

最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m