大和郡山の旧遊郭「洞泉寺」を歩く

こんばんは。TSUBOSUGI1975です。

今回は先日、奈良県大和郡山市洞泉寺町の遊郭跡を歩いてきましたので簡単に紹介したいと思います。

奈良県遊郭

遊郭とは曖昧な感じがしますが簡単に言うと今の歓楽街や性風俗店街です。昔から人が集まる地にはそういう産業が自然と発生してきました。

古い歴史を持つ奈良も例外ではなく、多くの遊所が存在しました。寺社仏閣や古道が多い奈良には宿場町が多く、宿場町では煮売屋と呼ばれる飲食店がそういう商売を行っていました。

昔は法律がなくやりたい放題だったので、犯罪や性病の温床となっていました。そこで江戸幕府が公認の遊郭を造り幕府の管理の下で商売をさせることにしました。

奈良には2つの公認遊郭がありました。大和小綱新屋敷遊郭と奈良鴨川木辻遊郭(以下木辻又は木辻遊郭)です。

大和小綱新屋敷遊郭は現在の橿原市小綱町にあたりますが名残りはありません。木辻遊郭は現在の奈良市東木辻町にあたり、ドラマ鹿男あおによしの撮影に使用された旅館「静観荘」と遊女の墓がある「称念寺」に名残があります。

木辻遊郭井原西鶴好色一代男に登場した遊郭で格式の高かった遊郭だったことが分かります。

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しかし実際はすべての遊所を管理することはできず、各地の遊所は幕府の目をすり抜け商売を行っていました。その中の1つが今回、散策した洞泉寺です。

洞泉寺遊郭と東岡遊郭

洞泉寺遊郭奈良県大和郡山市洞泉寺町にかつて存在した遊郭です。洞泉寺遊郭とセットで語られることが多いのが東岡遊郭で現在の大和郡山市東岡町に存在しました。

この2つは大和郡山城の城下町の外れにできた遊所で、町民が多く利用し賑わっていました。

公認遊郭の木辻は奈良奉行所に不服を申し立てていましたが、洞泉寺、東岡は商売をやめることはありませんでした。そこで木辻は洞泉寺と東岡と業務提携を結び、木辻の出先遊郭として商売を続けました。

その後、明治維新江戸幕府が終わり明治5年の芸娼妓解放令の施行により遊郭制度は消滅することとなりました。

それにより公認遊郭と各地の遊所の区別がなくなり多くの遊所は遊郭という扱いになりました。

元々、木辻より洞泉寺、東岡の方が繁盛していたので木辻は衰退、洞泉寺、東岡は繁栄してゆきます。

敗戦後、アメリカの占領下におかれた政府は人身売買や人権の問題から遊郭は認めないというスタンスを取りますが、それは形式上でした。

性犯罪やアメリカ兵による強姦の多発、地域の経済的な問題により遊郭は必要でした。政府が黙認していた遊郭のエリアは地図上で赤線で囲まれ警察が目を光らせていました。そのためにその地域は赤線と呼ばれるようになりました。

洞泉寺、東岡も赤線として存続していましたが、昭和33年に売春防止法が施行されることが決定し赤線は消滅することになりました。

洞泉寺は売春防止法施行に強く反対しましたが、施行後はきれいに商売を辞め長い歴史に幕を下ろしました。

江戸時代から昭和33年まで洞泉寺と同じ道を歩んできた東岡は、売春防止法施行後から洞泉寺と別の道を歩むことになるのです・・・

現在の洞泉寺町を散策

数年ぶりに洞泉寺町を散策してきました。洞泉寺町は非常に小さい町ですが多くの寺社仏閣と民家がひしめき合う不思議な町です。

地図で見ると町は正方形で大きな正方形の中に小さい正方形があり、その道に妓楼が並んでいました。

現在は、多くの妓楼は解体され更地や民家となっています。私は初めて洞泉寺町を散策したのは12年前でしたが町並みは大きく変貌しました。

洞泉寺町の中心にある浄慶寺の敷地内に多くの妓楼が残っていましたが、耐震の関係で維持できなくなり残念ながら数年前に解体となりました。

写真のガレージや更地には数年前までは立派な妓楼が立ち並んでいました。

2016年に撮影

2020年に撮影

源九郎稲荷神社横の元妓楼は健在でした。

町屋物語館前の元妓楼も健在でした。洞泉寺と言えば三階建ての遊廓建築です。

町屋物語館(旧川本家住宅)を見学

洞泉寺町でひときわ目立つのが町屋物語館(旧川本家住宅)です。この他を圧倒する三階建ての木造建築は大正13年に建てられました。

昭和33年以降は旅館に転業しその後アパートとして利用されていましたが長い間、空き家となり退廃が進んでいました。

この貴重な建築物をボランティアの方々が管理していましたが大和郡山市が買い取ることになりました。その後、耐震工事を行い無料で一般公開されています。

三階建ての元妓楼が無料で見学できるのは全国でもここだけと思います。

格子は外からは見えにくく、中からは見えやすくなっています。格子の部屋は娼妓が待機し外の客を眺めていたのでしょう。

町屋物語館(旧川本家住宅)は平成26年に登録有形文化財に登録されています。

町屋物語館(旧川本家住宅)はハート型(桃を逆さにした形とも言われる)の窓が特徴的です。

一階の入り口部分は受付と娼妓の待機部屋。奥は住居スペースになっています。

二階と三階には小さい部屋がたくさんあります。

このような部屋がたくさんあります。

時代を感じさせるスイッチ。

部屋番の札があります。

所々に遊郭らしい趣向が施されています。

一階の住居スペースには美しい中庭があります。

一階の中庭からは二階と三階の廊下が見えます。娼妓と客を歩く姿を眺めていたのでしょうか。

入り口部分は受付になっています。ここで受付や花代の支払いを行っていたのでしょう。

おわりに

以上が洞泉寺町と町屋物語館(旧川本家住宅)の簡単な紹介でした。

町屋物語館(旧川本家住宅)の写真はごく一部で台所、洗面所、茶室、やカフェスペースもあります。ガイドさんもおられるので貴重なお話を聞きながら見学することも可能です。

かつて遊廓、赤線だった町や観光地は、そのことを隠したり花街で芸妓だけの町だったとか偽った説明を行うガイドさんもいます。

大和郡山市は洞泉寺を旧遊郭と認め、妓楼を保存し一般見学できるようにしている姿勢は全国的に見ても珍しいと思います。

これだけの遊郭建築を無料で見ることができるので大和郡山市に訪れた際は是非、町屋物語館(旧川本家住宅)に足を運んでみてください(^^♪

 

最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m

 

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